全国的にも珍しい「学校の歴史」をテーマにした博物館が、京都の中心地にあるのをご存じでしょうか。
その名も、京都市学校歴史博物館。こちらの博物館では日本で最初の学区制小学校としてつくられた64校の「番組小学校」の資料をはじめ、京都市の学校にのこされた教科書や教材などの歴史資料や、卒業生などが学校に寄贈(きぞう)した絵画や陶磁器などの美術工芸品 を収集・保存し、展示をおこなっている施設です。
そんな京都市学校歴史博物館で学芸員を務める林さんに、Q都で体験できるプログラムや、 博物館の見どころを教えていただきました。
ー京都市学校歴史博物館はどのような博物館でしょうか?
当館は、明治2年に京都に住む町の人々によって始まった「番組小学校」のなかのひとつである「元 京都市立開智小学校」の施設を改修・整備して、1998年にオープンしました。
明治維新がはじまった頃の京都は、事実上都が移され、人口も3分の2まで減り、急激な衰退の危機を迎えていました。
そこで京都に住む先人たちは「京都を復興していかねば」という思いでさまざまな近代化政策に取り組み、中でも「まちづくりは人づくりから」という強い信念を掲げ、教育に力を注いだという時代背景があります。
当館では、地域住民の力添えでつくられた番組小学校の成り立ちや、そこで学んでいた内容をはじめ、その後の小学校で使われていた教科書や戦時中の資料など、学校にまつわる資料の展示を主に行っています。
ーまさに、京都の復興を考えたときに、これからどういう町にしていきたいかを考えて動ける人が育っていくことは重要ですよね。
はい、当時のカリキュラムからも、その想いは感じられます。
カリキュラムには、等級ごとにどういった科目を学ぶかということが書かれているのですが、そこには「西洋事情」や「欧米の政治制度」といった内容もありました。おそらく読み書き計算だけでなく、新しい学問を学ばないといけない、というような意識を持っていたのでしょう。
ー等級というのは?
学びの成熟度のことを表しています。
現代では「〇年度生まれの子はみんな同学年」と、年齢ごとに入学や進級タイミングが決まっていますが、当時の小学校ではテストを通過した人だけが進級できる等級制の仕組みが採用されていて、明治20年代はじめまでこの仕組みが続いていました。
ただし、カリキュラムに組み込まれている内容は当時の人々にとっても最先端の学問ですから、そもそも教えられる先生がいなかったようで、自然科学の内容などは、「各自で教科書を読みなさい」というのが授業内容だったそうです(笑)。
ー京都市学校歴史博物館さんでは、Q都でどのようなプログラムを実施されていますか?
当館の成り立ちを始め、学校にまつわる資料にはSDGsを考えるきっかけが、たくさん散りばめられています。
そこで、SDGsのタネとなるようなことを当館の中で探してみよう、というのがQ都で体験できるプログラムの主な内容となっています。
番組小学校は地域住民の力で始まった学校、と最初にお伝えしましたが、その運営費集めにつくられた仕組みが「竈金(かまどきん)」です。
これは、竈(かまど)のある家から、学校をつくって運営するためのお金を集めるという仕組みでした。この仕組みの画期的なところは、「竈=現代で言うコンロ」のある家、つまり、ほぼ全ての家を対象にしたということです。

当時は持家住まい(所有している家に住んでいる)か、借家住まいか、で町の人々の社会参加はきっちりと分けられており、借家住まいの人はいろいろな支払いを免除される代わりに、町の行事への参加も許されていませんでした。ですが、番組小学校は持家、借家で分けることなくお金を集めることで、どの子も小学校へ通うことのできる状況を実現可能にしたのでした。
町の人々が地域の未来を思って、自分たちになにができるかを考え、垣根を超えて手を取り合った。これはまさに、SDGsの目標17「パートナーシップで目標を達成しよう」に通じると考えています。
このプログラムでは、まずそんな小学校の成り立ちとSDGsの関係性について話をしたあと、館内を30分ほど見てまわってお宝さがしのようにSDGsのタネを探し、それぞれどんな発見があったかのシェアをしています。
ー参加される皆さんは、館内を見てまわってどんなところに注目しますか?
着眼点はそれぞれですが、戦争に関する展示資料について反応される方が多いですね。
たとえば、ここには元立誠小学校に通っていた小学生の1945年当時の絵日記が展示されていて、そこには空襲のことも書かれていたり、先ほどの教科書コーナーでは戦争に関係する内容が黒く塗りつぶされた「墨塗り教科書」が展示されていたりします。
当時の様子がダイレクトに伝わってくる実物を、直接見たり、触ったりできる機会はなかなか少ないと思うのですが、当館に展示している教科書の一部はパラパラとめくったりもできるため、足を止めてじっくり見ていたりしますね。
さらに当館には、戦後の修学旅行の様子や、給食サンプルの展示など、現代の人が見ても「こういう行事、あったなあ」などと懐かしく感じられるような展示物もあります。
学校にまつわる思い出やイメージは人それぞれだと思いますが、学校という場所は、たとえ地域や世代が異なったとしても、通ったことがある人の「あるある!」が生まれやすいトピックだと感じているため、その共感を起点につながったり連帯が生まれる可能性も感じています。
ーなるほど。ちなみにお話を伺いながら、林さんがとても楽しそうに話されている印象があるのですが、どういったところに面白さを感じていますか?
自分自身が面白がりながら企画や展示などを作っているので、それがにじみ出てますね(笑)。
僕はもともと、大学院で教育史を勉強したのち、関西のさまざまな大学で非常勤講師を経験してきました。当時は、資料を読んだり論文を書いて発表したりとアカデミック分野でコツコツと活動を続けてきましたが、当館の学芸員として関わるようになってからは、私が企画したことを市民の方々に見ていただける場があることにとてもワクワクしますね。

皆さんにどのような反応をしていただけるかということに緊張感はもちつつも、使用する資料をより慎重に吟味・判断しながら、自分なりのこだわりを形にすることに面白さも感じています。
展示や資料を見た市民の方からはさまざまなリアクションがあって、それが新しく歴史を探るきっかけにもなりますし、点が線となり、面として広がっていくように、そこからまた新たな形でつながっていく可能性も感じています。
あと最近は、そんな皆さんの記憶や思い出を呼び起こす場になれば、という思いで「昔の小学校」風の教室づくりにチャレンジしています。この教室にはかつての小学校で使われていた机や椅子、教卓、絵具セットなどを集めて置いていますが、木製のロッカーなど、もっと充実させていきたいですね。
ー今後、博物館でどんなことをしていきたいか教えてください。
SDGsの目標4に「質の高い教育をみんなに」があります。日本では、みんなが学校に行って学ぶことができるよう、整備されている。これは世界的に見ても素晴らしいことです。でも、居心地の良さはどうでしょうか。
楽しいと感じる子もいれば、しんどさを感じたり、言いたいことを言いづらいという子、そしてそうしたことをかつて学校で経験した、という大人の方もいるかもしれません。
私は、そういった大人の方々、さらには当館に足を運んでくれる児童・生徒・学生たちと一緒に、「教育や学校のあり方を歴史の点から、一度自由に考えてみるプログラム」ができないかなと考えています。堅苦しい形ではなく、「いま学校でどんなことしてる?」などの気軽な形で、教育や学校への想いを聞いていくようなイメージです。当館は少人数の班で訪れる人が多くて、先生の同伴がないことも多いので、その意味では話しやすい場合があるかもしれませんね(笑)。
そんな想いを抱きながら、子どもたちはもちろん、いろいろな世代の方が学校をテーマに語ったり集えるような場にしていけたらと考えています。
執筆:西田芙未(ウエダ本社utena worksより依頼 )
編集:Q都スタディトリップ事務局
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▼インタビューでご紹介した京都市学校歴史博物館の「Q」はこちら
Q.18 なんで日本初の小学校が京都から始まったの?