私たち日本人は、当たり前のように日本語で話し、漢字、ひらがな、カタカナを組み合わせて日常的に使っています。もともと日本語を記すための文字をもっていなかった日本は、およそ2,000年前に中国から漢字を取り入れ、それをもとに自分たち固有の文字を作り出しました。

独自に発展してきた豊かな日本の言語文化

古代中国で生まれた漢字は、日本だけでなく、朝鮮半島やベトナムなど広い範囲に伝わりましたが、北朝鮮、ベトナムではいまや漢字は使われておらず、韓国でも主要な文字としての地位を失っています。本場の中国でも、1950年代に文字改革がなされ、それまでの画数が多く複雑な漢字を簡単にした「簡体字」が普及しています。

日本では、いつの時代でも文章の表記に漢字を使い続け、漢字をもとに日本独自のひらがなやカタカナを編み出しました。さらには、日本にはあって中国にはないものや概念を表記するために、私たちの祖先が日本独自の文字として「国字」も作り出しました。およそ6~7世紀の奈良時代に、漢字のもつ音だけを使って日本語の音を表す「万葉仮名」(たとえば「川」を「加和」と表す)が生まれ、その後平安時代になってから万葉仮名をもとにひらがなとカタカナが生み出されました。

さらに、漢字を組み合わせて新しい意味をもたせた「和製漢語」も作られ、コンピューターを「電算機」、オリンピックをシンボルである五つの輪から応用して「五輪」とするなど、おなじみの和製漢語は身の回りにたくさんあります。幕末・明治時代には、たとえば「経済」や「社会」のように、欧米から伝来したものや概念を表すため、多くの和製漢語が作られ、それらは中国に逆輸出されて現代の中国でも普及しています。

このように、私たち日本人は中国から取り入れた漢字を、日本文化や風習などを反映させながら伝えたいことを正確に過不足なく伝えるためのコミュニケーションツールとして、豊かに発展させてきました。

日本の漢字文化でとてもユニークな点は、漢字に音読みと訓読みがあり、さらには一つの漢字の音読みが複数あること。それは、漢字が日本に一度に入ってきたのではなく、何度にもわたってさまざまな時代の、さまざまな地域の読み方が日本に持ち込まれてきたからです。たとえば京都の「京」を「きょう」と読むのは「呉音(ごおん)」といって6世紀~7世紀に長江下流域から伝来した読み方で、京阪の「京」を「けい」と読むのは「漢音(かんおん)」といって7~10世紀に洛陽・長安から遣隋使や遣唐使たちが持ち帰った読み方です。バラエティに富む漢字の読み方は、かつての文化的交流の証でもあるのです。