創業者島津源蔵の家業は仏具屋でした。島津製作所の創業は、明治8年、今から147年前のことです。居を構えた木屋町二条では、当時、首都が東京に移った後の京都での産業振興を担う勧業場や今で言う理化学研究所の舎密局(せいみきょく)などが開設され、殖産興業(しょくさんこうぎょう)の一大拠点となっていました。

源蔵はすぐそばに建てられた舎密局に足繁く通い、理化学分野の広範な知識と技術を習得。時代の転換期にあって「わが国の進むべき道は科学立国である」との理想に燃えて教育用理化学器械製造の業を始めます。

その後を引き継いだ息子の2代目源蔵は、蓄電池製造など生涯で178件もの特許を取得しました。

島津製作所の最古の製品カタログといわれる「理化器械目録表」(明治15年)

時代とともに発展する技術

1895年、レントゲン博士が発見したX線の応用研究が日本でも進み、1909年、島津製作所は国産初の医療用X線装置を完成させ、X線による診断が世の中に広がっていきます。革新的な技術が多くの人に広まるには、安全性や正しく扱うための専門技術者の養成が不可欠でした。「技術者を育てるのはメーカーの責務」という想いから、それを操作するX線技師の養成にも尽力し、医療用X線装置の本格的な普及を後押ししました。

その他、近代工業化を進める日本において島津製作所は、歯車機器や工業計器、分光機器、非破壊検査機器、航空機器(機体部品)、プロセス制御計器など新製品を次々と開発していきます。 島津製作所は1875年の創業以来147年にわたる歴史を通じて、社是の「科学技術で社会に貢献する」、経営理念の「『人と地球の健康』への願いを実現する」のもと、常に科学技術で真摯に時代の変化や社会のニーズと向き合い、事業を継続・発展し続けてきました。

島津製作所の創業からの歴史を学べる創業記念資料館には、これからの時代の「技術革新(イノベーション)」のヒントがたくさん詰まっています。