明治41(1908)年創業の老松は、歴史的にみると平安時代の宮廷祭祀官(さいしかん)にルーツがあります。天皇が国と国民のために神仏や祖先に祈る儀式で用いる菓子や茶道に用いる菓子を手がけてきました。

縄文時代までさかのぼるとされる菓子が、洋菓子との対比で「和菓子」と呼ばれるようになるのは、実はそれほど古い時代ではなく、明治維新によって日本に欧米の新しい技術や文化がもたらされてから。果物や木の実を材料にした古代に始まり、鎌倉時代にかけては中国の唐菓子(からがし)や点心、室町時代にはポルトガルの南蛮菓子などの外国の影響を受けながら、日本独自の菓子文化を花開かせてきました。

外来の文化や技術と出会うことで菓子の幅を広げてきた歴史のなか、京都で天皇・公家を中心とする雅(みやび)な文化や茶の湯を背景に日本文化を凝縮する形で大成しました。

職人が和菓子を教える風景

多様な文化と出会い、地域ごとに育まれた和菓子

和菓子はおいしいという味覚だけでなく、素材のかおりでたのしむ嗅覚、和菓子を切る時や舌触りなどでたのしむ触覚、色かたちを目でもたのしむ視覚、そしてお菓子に独自の名称「菓銘」をつけて耳で想像を膨らませる聴覚という五感すべてで味わうことができます。菓銘には、自然の美しさを表現したり源氏物語や古今集等の古典文学にゆかりをもつものが多く、小さな和菓子を通して昔の人々とも時間や情緒を共有できるツールとも言えるでしょう。

今でも、その日の山の色をみて和菓子に色づけをし、季節に適った材料を使うなど季節感と自然との共生を大事にしています。実際の季節よりも少し早めのテーマをもとに和菓子をつくる”季節の先取り”は、その季節を待つ楽しみをお客さまと分かち合うための心遣いからの工夫です。また、和菓子づくりでは、米や小麦、小豆をはじめとする植物性の食材を以前から無駄なく使い回してきましたが、フードロスへの意識が高まった近年は、さらにホテルや洋菓子屋さんとも協力しながら食材をフル活用しています。

お店が所在している上七軒というエリアは、京都で一番長い歴史をもつ花街(かがい)で、学問の神様・菅原道真公をまつった北野天満宮の門前町です。たとえば神社の数だけお餅やお団子があるように、和菓子は、信仰やお祭り、年中行事との関わりの中で地域の特性に応じて発展してきたので、節目節目の行事や祭事とともに続いてきました。

最近では、伝統を守り続けるだけでなく、コーヒーに合う和菓子の開発やコロナ禍で廃棄しかけていた商品を使った洋菓子とのコラボ、声優イベントでの出展など、もともとお茶席にあわせて和菓子をデザインしてきた経験を活かし、新しい試みにも挑戦しています。

そして、自分たちだけが発展するのではなく、長く関係性を育んできた北野天満宮さんやお客様とともに、上七軒という地域全体が盛り上がっていく仕組みをつくり、和菓子を人と人をつなぐコミュニケーションツールとして常に地域のための「流行りをつくる和菓子屋」であり続けることを願っています。